Changing 返還から現在までのマカオの足跡。変貌するマカオは人々を魅了する


Macao, two decades after returning to China ―Continual changes of Macao fascinate tourists

返還から現在までのマカオの足跡

返還から現在までのマカオの足跡(クリックで拡大)

数字で見るマカオ20年の変貌

日々、発展し続けるマカオ

マカオが中国に返還されて20年。安定した「一国二制度」のもと、積極的な海外からの投資の推進と社会的なインフラ整備、サービスの充実が進み、全世界から20年前の5倍近い約3580万人が訪れる。

マカオで返還後もっとも変貌したのは、IR(統合型リゾート)が林立するコタイ地区だろう。もとは、マカオ半島と橋で結ばれたタイパ島と、南部のコロアン島の間の浅瀬の海。ポルトガル統治時代に作られた1本の連絡通路(コーズウェイ)があるのみで、周囲にはマングローブの林が広がっていた。返還前後(1990年代)から始まっていた埋め立てが加速し、2001年には、2島が完全につながって約3.5平方キロの陸地が誕生した。「コタイ」とは、両島の頭文字をとっての命名だ。

国際資本の積極的な導入によるIRの推進で2007年に「ザ・ヴェネチアン・マカオ」がオープン。ラスベガスのザ・ヴェネチアンをお手本に、全3000室がスイート、イタリアのヴェネチアを模した運河沿いのショッピングモールなどが国際的に話題になり、以後本格的なIRが続々オープンする。「シティ・オブ・ドリームズ」(09年)、「ギャラクシー・マカオ」( 11年)、「サンズ・コタイ・セントラル」(12年)、「スタジオ・シティ・マカオ」(15年)、「ウィン・パレス」「ザ・パリジャン・マカオ」(16年)、「MGMコタイ」「モーフィアス」(18年)…。これらのIRでは、噴水などの大掛かりなショーやストリートパフォーマンス、多彩なエンターテイメントプログラムが日々上演されるほか、ホテル内には、世界的なスターシェフがプロデュースするレストランが続々開業。世界中の最高の味を楽しめる環境が整い、多くの来訪者を楽しませている。

世界最長の海上橋開業bridge

返還20周年に合わせ、2018 年10月に供用を開始したのが、マカオと中国珠海市、香港を結ぶ「港珠澳(こうじゅおう)大橋」だ。橋を使っての香港―マカオ間の移動時間はわずか30 ~ 40 分と、これまでのフェリーでの移動の半分となり、香港―マカオ間の距離がぐっと縮まった。青い海にそびえたつ片側3車線の道路と白い橋脚が美しい橋は、マカオの新たなシンボルとして親しまれている。全長55キロのうち約36キロが海上に架かる橋で、海底トンネルは6.7キロ。長さの比較では米国サンフランシスコの「ゴールデンゲートブリッジ」の20 倍あり、海上橋としては世界最長とされ、英国ガーディアン紙によって、「新世界7大奇跡」に認定された。橋の柱(一部)は、この海域に生息する白イルカを表している。法定速度は時速100キロに設定され、24時間通行が可能。橋を使って香港とマカオを結ぶシャトルバスはピーク時には5分に1本、夜間(0~6時)も15 ~30 分間隔で運行されている。シャトルバスの料金は、日中は、大人が65HKD/MOP( 約910 円)で、12 歳以下の子供と65歳以上が33HKD/MOP(約460 円)。夜間(午前0 時~ 5時59 分)は、大人が70HKD/MOP(約980 円)、12 歳以下・65歳以上が35HKD/MOP(約490 円)とお手頃の値段(入境にはパスポートの提示が必要)で、橋を使ってのマカオ・香港周遊が早くもトレンドとなっている。

 

LRT[ライトレール]も開業

返還20周年記念祝典に合わせて2019年12月から、マカオの新たな市民・観光客の足として開業するのが、「マカオLRT(ライトレール・トランジット)」だ。東京の「ゆりかもめ」と同じゴムタイヤ方式・全自動無人運転の車両を使った新交通システムで、これまでバス・タクシーしかなかったマカオにとって初の鉄道となる。
先行開業するのはタイパ・フェリーターミナルから、マカオ空港を経てコタイの外周を回り、西灣大橋のたもとにある海洋駅までのタイパ線9.3キロ(11駅)。2024年までには、西灣大橋を渡ってマカオ半島とも結ばれる。

 

世界に類をみない国際観光都市へ

マカオ半島南部の埋め立てもすすみ、2001年にマカオ・タワーが誕生、2008年「グランド・リスボア」などのIRも建設された。半島とコタイの系列ホテル、さらに各IR間は、無料のシャトルバスで結ばれ、半島の世界遺産群とコタイのリゾートを自由に行き来できることで、観光客の自由な周遊を支えている。

返還前の1998年当時43軒だったホテルは、約2倍の82軒、客室数は7765室から3万8078室と約5倍に急拡大している。

増大する観光客のために、マカオ半島のインフラ整備も進んだ。東西文化が融合する歴史的な価値を認められ、2005年に22の歴史的建造物と8か所の広場を含む日常生活地域が「マカオ歴史市街地区」としてユネスコの世界文化遺産に登録されたことで拍車がかかり、返還前はコンクリートや荒れた地面が露出していた広場は、美しいカルサーダスの石畳ですっかり覆われ、建物自体の修復が進行。さらにタイパなどでは、商店や倉庫などの壁を使った壁画など現代アートの展示も始まり、過去と現在が入り混じった、生き生きした文化創造空間となっている。

中国政府の安定した政策のもとで順調に発展を続けるマカオは、理想的な観光産業都市として、世界の人々に最高の娯楽とサービスを提供している。

 

ツーリストガイド&メディアコーディネーター
轡田洋子(くつわだようこ)さんに聞く「マカオのいま昔」

昔は静かな田舎町

轡田さんは30年以上のキャリアを持つベテランガイド兼メディアコーディネーター。ポルトガル系5世の男性との結婚を機に、1985年からマカオに移り住み、その変化を目の当たりにしてきた。

「当時のマカオは、とても静かな田舎町でした。大きな道路や高いビルがなく、人も車も少なく、全体的にのんびりとしていましたね。まだ”島“だったタイパ、コロアンにも、マカオの原風景があり、埋立地であるコタイ地区の東側や対岸の広東省横琴島には、牡蠣の養殖場が広がっていました」。

現在、マカオ半島とタイパは3本の橋でつながっているが、当時は真ん中のマカオ・タイパ橋(1974年開通)だけ。離島のタイパやコロアンは、マカオ半島の住民にとって、船で行く小旅行の地だった。

「マカオ・ポルトガル政府高官の別荘だった『タイパ・ハウス』前の広場からは、現在、蓮池とコタイのIR群を眺めることができますが、昔は広大な水辺にマングローブが群生し、その先にコロアンが見えました。コロアンにはビーチがあるので、私もよく家族で遊びに行きましたよ」。

コタイの開発で劇的な変化

マカオが劇的に変わったのは、中国返還後の2002年に国際資本が導入され、コタイの開発が本格化してから。埋め立て地に次々とIRが建ち、観光客は激増。文化財保護の観点から、ポルトガルが残した街並みも美しく整備されていった。

「それまで、マカオの主な観光スポットといえば、後に世界遺産となった『聖ポール天主堂跡』と、カジノを併設した『ホテル・リスボア』くらい。旅行者も、香港のオプションで来る日帰りツアーがほとんどで、朝9時過ぎにフェリーでマカオに着き、午後3時過ぎには香港に帰るというパターンでした。しかし、IRの開業ラッシュにともない、マカオをメインにしたツアーが増え、街歩きやグルメ、エンターテイメント、ホテルステイを目的としたファミリー層や、日本でいう”女子旅“で訪れる方も年々増えています」と話す。

2つの文化が共存

興味深いのは、ポルトガル統治時代よりも中国返還後のほうが、マカオのポルトガル的な要素が注目されている点だ。

「特にポルトガル料理のレストランは、ここ数年で急増していますし、アズレージョ(ポルトガルの絵付けタイル)をモチーフとした小物や、ポルトガル名物の缶詰、ワインなどを扱うおしゃれなショップも続々オープンしています。やはり、中国とポルトガルという異なる2つの文化が共存しているのが、マカオの個性であり大きな魅力ということかもしれません」。