大航海時代の夢に思いを馳せるマカオの美味


Delicacies of Macao Reminiscent of the Age of Discovery

クリーム色のポルトガル建築に 囲まれた聖オーガスティン広場の カルサーダス(石畳)、白地に紺で 波を思わせるデザイン。大航海時 代の覇者、ポルトガルの人々の航 跡が表現されているようだ。

クリーム色のポルトガル建築に囲まれた聖オーガスティン広場のカルサーダス(石畳)、白地に紺で波を思わせるデザイン。大航海時代の覇者、ポルトガルの人々の航跡が表現されているようだ。

ガストロノミーの街、マカオ

港湾局大楼を見上げる。ポルトガ ルとも中国とも異なる繊細でイスラ ム風の意匠は、「海のシルクロード」 らしい文化の伝搬が感じられる。

港湾局大楼を見上げる。ポルトガ ルとも中国とも異なる繊細でイスラ ム風の意匠は、「海のシルクロード」 らしい文化の伝搬が感じられる。

昨年11月、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が認定する「創造都市ネットワーク(UCCN)」において、食文化分野(ガストロノミー)の創造都市として登録されたマカオ。 ガストロノミーというと、すぐ贅沢な美食をイメージしがちだが、本来の意味は、料理や食事とその土地固有の文化との結びつきを考察、探究することだ。大航海時代のポルトガルと中国との出会いから生まれたマカオの料理、食文化はまさにガストロノミーそのもの。マカオは世界有数のガストロノミーを体感できる街なのだ。

食文化分野の創造都市は全世界でもわずか26しかなく、中国では四川省成都市、広東省順徳市に続く3番目の登録。ちなみに日本では唯一、豊富な在来作物と出羽三山信仰とが結びついた食文化を持つ山形県鶴岡市のみが選ばれている。

「マカオに最初に住みはじめた中国人漁師の広東・福建の食文化と、約450年前の大航海時代に、アフリカの喜望峰、インド、東南アジアを経てはるばるやってきたポルトガル人がもたらした食文化が融合し、渾然一体となって独自の発展を遂げてきたのがマカオの料理の数々。世界で唯一、ここでしか食べられない味が数多く並び、まさに歴史とロマンの宝庫なんです」と現地の旅行会社に勤務する女性は話す。

㊨㊤ ポルトガルの民族衣装を着た人 形。㊥世界遺産に登録されている 港湾局大楼。19 世紀後半にムー ア人の兵舎として建てられた。ベラ ンダの繊細な装飾が目を引く。

左:ポルトガルの民族衣装を着た人形。右:世界遺産に登録されている港湾局大楼。19 世紀後半にムーア人の兵舎として建てられた。ベランダの繊細な装飾が目を引く。

 

複合的な文化や歴史が凝縮されたマカオの味

バカリャウ(干し鱈)や魚介類、ジャガイモなどをふんだんに使い、スパイスで味付け ているマカオ料理。ポルトガルの船乗りたちが、アフリカ、インドといった寄港地で出会 った味から生まれたマカオ料理は、大勢でわいわいと食べるのが流儀だ。

バカリャウ(干し鱈)や魚介類、ジャガイモなどをふんだんに使い、スパイスで味付け ているマカオ料理。ポルトガルの船乗りたちが、アフリカ、インドといった寄港地で出会 った味から生まれたマカオ料理は、大勢でわいわいと食べるのが流儀だ。

たとえば、マカオの食を代表するメニューのひとつである「アフリカン・チキン」にも、その複雑な歴史の長さが表れている。

「アフリカン・チキン」は、鶏肉に多様なスパイスやココナッツを使ったソースが絡む。店ごとにオリジナルのレシピがあり、辛さと甘みが何層にも複雑に絡み合った味わいがクセになる。ルーツはその名の通りアフリカにあるとされ、インド航路の発見で知られる15世紀のポルトガルの大航海者、ヴァスコ・ダ・ガマが、喜望峰を回ってたどり着いたモザンビークで食べたスパイシーなグリルチキンといわれる。

「ニワトリは食料として大型船で飼われることもあった。ポルトガル人はインドで現地のスパイスを手に入れ、次にマレーシアのマラッカ王国の征服で、特産のココナッツが食材に加わります。このマラッカで中国商人に出会ったのがマカオ進出のきっかけで、1557年に明王朝からマカオ居留を許されると、広東料理が結びつき、現在の『アフリカン・チキン』が誕生するのです」と前出の女性。マカオの名物メニューの中には、大航海時代の歴史と世界各地の文化が詰め込まれているというわけだ。

「アフリカン・チキン」のほかにも、カニをスパイスで煮た、マカオ独特の「カレークラブ」、マレーシアのラクサ(スパイシーなスープ麺)に似たエビとビーフンのスープ「ラカサー」、甘辛く炒めたひき肉と揚げた角切りジャガイモをあえた「ミンチィ」などは、東西の文化が融合したマカオならではの味だ。

「ミンチィは、ポルトガル人の末裔である『マカエンセ』にとって、まさにおふくろの味。ご飯によく合う素朴な味で、多くのポルトガル料理店やマカオ料理店で食べることができます。マカオにはポルトガル料理の看板を掲げる店も多いですが、メニューにはマカオ料理もふんだんに含まれている。バカリャウ(干し鱈)ひとつとっても、どこかしら中国の影響を受けていて、ポルトガル本土のものとは微妙に異なる。マカオの料理は、まさに、ガストロノミーの代名詞ともいえるフュージョン料理なんです」と観光ガイドの女性が教えてくれた。

ポルトガル風 の居酒屋に集まる人々。観光客も地元の人たちに混じって、ポルトガルのワインやビール を飲みながら盛り上がる。

ポルトガル風の居酒屋に集まる人々。観光客も地元の人たちに混じって、ポルトガルのワインやビールを飲みながら盛り上がる。

「海のシルクロード」とポルトガルの大詩人

かつて、ポルトガルとスペインの2大強国が、ローマ教皇を巻き込んだ2つの条約(1494年のトルデシリャス条約と、1529年のサラゴサ条約)によって、ヨーロッパ以外の世界を2つに分割し、覇を競ったという大航海時代。マカオを始めとするアジア全域の優先権を握ったポルトガルが作り上げたのが、喜望峰を回って、インド、東南アジアを経てマカオ、日本に至る航路だった。

「海のシルクロード」とも呼ばれるこの航路の目的は、ポルトガル人にとっては、各地の多彩な香辛料、中国の絹、そして日本の銀(石見銀山)の輸入であり、逆にこの航路に乗ってマカオにやってきたのが今も根付くカトリックを代表とするキリスト教文化と、アズレージョやガロ、さらに鱈、イワシなどのポルトガルの食習慣というわけだ。

マカオに軍人として滞在し、公園などさまざまな場所に名前を残しているポルトガル最大の詩人、ルイス・デ・カモンエス(1524年頃〜1580)は、代表作「ウズ・ルジアダス」で、ユーラシア大陸最西端のポルトガル・ロカ岬で、「ここに地終わり海始まる」と謳っているが、経由地を含めた様々な食文化の究極の進化がマカオというわけだ。

マカオの地名の由来と中国の漁民たちの味

ポルトガル人が入ってくるまで、マカオは中国の海の民、漁民たちが暮らす村だった。そうした往時の漁民の暮らしの雰囲気を今も多く残しているのが、マカオ半島南端にある海の守り神を祀る媽閣廟周辺と、コロアンだ。

マカオ最古の寺院で、明朝スタイルの廟のある媽閣廟は道教の神様と仏教の仏様を祀る中国漁民の寺院。建立はポルトガル入植以前の1488年ごろで、当時の面影を残す貴重なスポットとなっている。

「実は、マカオに着いたポルトガル人に、『ここはどこか?』と尋ねられた地元の漁民が、『マーコウ』と答えたことが、マカオの名前の由来とされています。マカオは古くから海の民の暮らしと密接に結びついている場所だったのです」と観光ガイドの女性。

廟前は、今は美しいカルサーダス(石畳)の広場になっているが、20世紀の埋め立て前までは廟の門前まで海が来ていたという。境内には、寺院のもととなった、阿媽女神を運んできた中国のジャンク船が極彩色で描かれた石があり、海の民との密接なつながりが想起される。

近年の観光開発の結果、数は大きく減ったが、1960年ごろまでは、かつてのコロアン島を中心に、マカオの漁民の9割が水上で生活し、本土とも船で盛んに行き来していた。今もコロアンをめぐると、当時の面影はあちこちにみられる。

彼らの生計の源となっていたのが、豊富な海の幸。食文化も広東料理の影響を濃厚に受けているが、逆にマカオから中国本土、そして全世界へ広がっていったものもある。

「広東料理などでよく使われ、マカオの料理でも欠かすことができないオイスターソース。これはマカオから世界に広まった調味料なのです」と、日本から中国料理の勉強にやってきたという男性。

広東省には、カキを塩ゆでしてから日干しした「蠔豉(ハオチー)」と呼ばれる伝統的な調味料があるが、1888年に、李錦裳という人が「蠔豉」を作る際の煮汁にうま味成分が多く含まれることに着目し、濃縮して砂糖などを加えて発明したのがオイスターソースだ。最初は広東省で生産していたが、工場が火災で焼失したのを機にマカオに渡り製造販売店を設立。ここから世界への普及が始まった。

李錦裳は有名な、中華調味料メーカー「李錦記」の創始者。今は香港やマレーシアに生産拠点を映し、マカオでの生産は縮小したが、オイスターソースは、マカオの食卓には欠かせないものとなっている。

地元の人も大好き、エッグタルトと牛乳プリン

マカオのスイーツも、ガストロノミー都市を象徴する、東西食文化融合の産物だ。

マカオといえば、すぐ思い浮かぶのがエッグタルト。マカオのみならず、香港や日本でも大ブームとなったが、その火付け役になったのが、コロアンにある小さなベーカリーだ。

英国で薬学を学んだアンドリュー・ストウが、移住したマカオで、コロアン島の静かな漁村を気に入って1989年に開いたのが「ロード・ストウズ・ベーカリー」。そこでポルトガルの伝統的な菓子であるパステル・デ・ナタを、砂糖を控えめにするなど英国風カスタードの味付けをして作り上げたのがエッグタルトだ。

「『ロード・ストウズ・ベーカリー』と、マカオ半島にある『カフェ・エ・ナタ』が有名ですが、各店でいろんな工夫がされ、それぞれ人気です。中国語では『蛋撻(ダンタッ)』と呼ばれ、飲茶でも欠かせないデザートになっています」とスイーツが大好きという地元の女子学生は話す。

同様に、中国由来でマカオ発祥と言うのが、「牛乳プリン」だ。乳、卵の白身、砂糖などを使って作るプリンで、杏仁豆腐のような優しい味のスイーツ。もともとは、広東省の順徳で、水牛の乳を使って作られていたものが、マカオに伝わり、牛乳で作られるようになった。

「さらりとしたシンプルな味で、店によってはしょうがを入れたりさまざまなバリエーションがあります。温かいものと冷たいものがありますが、地元の人たちは、体を冷やさないようにと温かいものを食べることが多いようです」と前出の女子学生。一番人気の「義順牛奶公司」は、香港にも支店を持つほどで、行列がたえない。

イワシが主役?
ポルトガル伝来の「聖ヨハネ祭」

ポルトガル伝来の「聖ヨハネ祭」 ではしゃぐ子供たち。家族そろって 楽しむのが伝統だ。

ポルトガル伝来の「聖ヨハネ祭」ではしゃぐ子供たち。家族そろって楽しむのが伝統だ。

「聖ヨハネ祭」(6月23日、24日予定)は、イエスに洗礼を授けたとされる洗礼者、聖ヨハネの生誕を祝うポルトガルコミュニティのストリートフェスティバル。1年の中で最も短い夏至の夜を楽しく過ごし、家族や仲間と一緒に聖ヨハネの日を祝う祭りだ。もともとポルトガルでは600年以上の歴史がある祭りで、かつてポルトガルが宗主国だったブラジルや、インドのゴアでも同様の祭りが大がかりに開催されているという。マカオの「聖ヨハネ祭」が行われるのは、ポルトガル建築が並ぶラザロ地区。南欧風の街並みはポルトガル人の居住区だったのかと思いきや、もともとは中国人のカトリック教徒が住んでいた場所だという。祭りの中心となるのは、16世紀に建てられたと伝えられる聖ラザロ教会(現在の建物は1886年再建)周辺。ポルトガル料理やパン、お菓子、アルコール類、雑貨などの屋台が並び、特設舞台では、ポルトガルの伝統的な歌やダンスが繰り広げられる。「夜10時ごろまでやっているので、夕食を軽く済ませてから散歩がてらに足を運んでみるのもいいですよ。治安の良いマカオだから、さほど心配はいりません」とは、日本の旅行会社に勤務する女性。レモンをギュッとしぼって食べるイワシの炭火焼きや、揚げたてのバカリャウ(干し鱈)のコロッケなどをつまみに、ポルトガルのワインやビールを飲みつつ、特設舞台の音楽やダンスのステージを楽しもう。

祭りの舞台は ポルトガル建築が並ぶラザロ地区。 階段に腰掛けて、屋台の揚げたてコ ロッケをほおばったり、ポルトガル ビールなどを飲みながら、人々は夜 更まで楽しむ。

祭りの舞台はポルトガル建築が並ぶラザロ地区。階段に腰掛けて、屋台の揚げたてコロッケをほおばったり、ポルトガルビールなどを飲みながら、人々は夜更まで楽しむ。