漁で生きる人々とポルトガルからやってきた船乗りたち 海の民たちが育んだマカオの文化を楽しむ


People living on fishing and sailors who arrived from Portugal. Enjoy Macao’s Culture and People Whose Lives are the Sea

かつて、漁民たちが暮らす島だったマカオ。大航海時代に、はるか波濤を越えてポルトガル人たちがやってきたことで、マカオは大きく変化する。
初夏は、そんなマカオの歴史と文化が色濃く感じられる祭りや食が楽しめる。

「酔龍祭」では、セナド広場のポルトガル建築の前に魚の張り子が登場。 躍動するカラフルな魚たちは、海の民の街マカオらしい。

「酔龍祭」では、セナド広場のポルトガル建築の前に魚の張り子が登場。躍動するカラフルな魚たちは、海の民の街マカオらしい。

ひなびた漁村から歴史の表舞台へ

「天后祭」は、 海を守る女神に捧げる古くからの祭り。野外舞台で演じられる広東オペ ラなど、中国文化の香りも楽しめる。

「天后祭」は、海を守る女神に捧げる古くからの祭り。野外舞台で演じられる広東オペラなど、中国文化の香りも楽しめる。

中国南部の小さな半島に位置するマカオ。

豊かな海に面し、漁を生業とする人々が暮らす穏やかな村は、16世紀半ばに突然、歴史の表舞台に登場する。ポルトガル人の来航だ。

「当時のポルトガルは大航海時代の覇者でした。彼らの目的は、絹や銀、香辛料などの交易やキリスト教布教の拠点を探すこと。中国沿岸を訪れるようになったポルトガル人たちは、中国・広州での定住が認められるようになるんです」と、地元のガイド氏。

スエズ運河はもちろん存在しない時代。アフリカ大陸の周囲をぐるりと回り、はるばると大海原を渡ってきたポルトガル人たちは、マカオを拠点に交易を始め、マカオに巨万の富が集まってくるようになる。

中国とポルトガル、海の民同士の結びつき

国を憂えた詩人の悲しい伝説にまつわる「ドラゴンボートレース」。今や国際レースと なり、水しぶきをあげて力走するボートは、初夏の風物詩になっている。

国を憂えた詩人の悲しい伝説にまつわる「ドラゴンボートレース」。今や国際レースと
なり、水しぶきをあげて力走するボートは、初夏の風物詩になっている。

中国の漁民とポルトガル人たちによって発展してきたマカオの街。初夏にマカオを訪れると、そんな歴史や文化が濃密に感じられる。

「まず、『天后節』や『酔龍祭』といった海の神のための祭りが続きます。漁民たちが信仰する神であり、海に出る彼らを守る神への信仰は篤かったのです。初夏のビッグイベントであるドラゴンボート・フェスティバルも水と関わりが強いですね」と地元のガイド氏が教えてくれた。そして、忘れてはならないのが、大航海時代がもたらした東西の食の融合だ。海の民であるポルトガル人は、故国から船出して、喜望峰を経由、インド、マカオへというルートではるばるとやってきたが、「このルートは『海のシルクロード』とも呼ばれています。マカオから先は、良質な銀を求めて日本を目指すのです」とポルトガルの歴史に詳しい編集者氏は語る。

マカオ料理は歴史と文化の凝縮

じゅうじゅうと煙をあげるイワシの炭火焼きは、レモンをぎゅっと絞 ればいっそう美味。ポルトガル伝来「聖ヨハネ祭」の名物でもある。

じゅうじゅうと煙をあげるイワシの炭火焼きは、レモンをぎゅっと絞ればいっそう美味。ポルトガル伝来「聖ヨハネ祭」の名物でもある。

荒波をものともせず、何年もかかってマカオに寄港した彼らは、さまざまなスパイスや食材を船に積んでいた。そこから生まれたのが、「アフリカン・チキン」「ミンチィ」といったマカオ料理の数々だ。ポルトガルの人々が地元に融け込んで暮らすように、彼らの料理はマカオで土地に合うように変化し、融合して「美食の街マカオ」の今につながっていく。

こうした文化的、歴史的背景が評価され、マカオはユネスコが認定する「創造都市ネットワーク(UCCN)」において、食文化分野(ガストロノミー)の創造都市として認定された。この見果てぬ国に夢を求めたポルトガルの人々、海の神とともに暮らすマカオの人々の歴史が複雑に交わり合って生まれたマカオの街と文化と味。マカオで体験する祭りや食は、マカオの奥深い歴史そのものだ。