船乗りたちが伝えた食材とマカオのお母さんの味


Home Cooking Reminiscent of Seafarers’ Stories

「アフリカン・チキン」のある食卓には、やはりご飯がつきもの。ポルトガルも日本と同様に米食文化の国なのだ。ワインやビールにも合うので、家族みんなで楽しめる。

「アフリカン・チキン」のある食卓には、やはりご飯がつきもの。ポルトガルも日本と同様に米食文化の国なのだ。ワインやビールにも合うので、家族みんなで楽しめる。

マカエンセの家庭に伝わるおふくろの味「ミンチィ」

p4-2「ミンチィ」とは、挽き肉を、にんにくや玉ねぎと一緒に甘辛く炒めたものと、角切りにして揚げたじゃがいもを合わせた料理。ポルトガル人の末裔であるマカエンセの”おふくろの味“だ。ご飯によく合う濃いめの味付けで、多くのマカオ・ポルトガル料理店でも食べることができる。

「ミンチィ」という料理名は、英語の「tomince(挽き肉にする)が由来で、香港の英国系インド人がマカオに伝えたものとも言われている。

ほのかに甘い、中国のたまり醤油を効かせた挽き肉部分は日本人にも馴染み深くアジア的だが、じゃがいもはポルトガル由来の要素。

さかのぼれば、じゃがいもは南米原産で、大航海時代にポルトガルの船乗りが欧州に持ち帰ったものだ。

挽き肉は、豚肩ロースと牛ヒレが半々という贅沢な合い挽き。にんにく、玉ねぎの他に、好みできくらげを少し加えると、歯応えに変化が生まれるという。味付けは、2種類の中国醤油と砂糖がベース。角切りのフライドポテトとともに皿に盛り、半熟の目玉焼きをのせた仕上がりは、見た目も味もさすがに洗練されている。

この料理を見たマカエンセの男性は、「これはあくまでレストランの料理。本来、家庭料理の『ミンチィ』には、基本的に目玉焼きはのせませんし、もっと素朴な”おかず“です。

忙しいお母さんたちが、仕事の合間にささっと作っていたもので、味付けも家庭によって異なりますよ」と、ウインク。

マカオ・ポルトガル料理店の定番メニュー「ミンチィ」。半熟の目玉焼きを崩して混ぜながらご飯にかけて食べると、これだけでかなりお腹いっぱいになる。本来は、マカオの忙しいお母さんたちが作る家庭料理なのだ。

マカオ・ポルトガル料理店の定番メニュー「ミンチィ」。半熟の目玉焼きを崩して混ぜながらご飯にかけて食べると、これだけでかなりお腹いっぱいになる。本来は、マカオの忙しいお母さんたちが作る家庭料理なのだ。

ヴァスコ・ダ・ガマのお気に入り「アフリカン・チキン」

「アフリカン・チキン」は、鶏肉に多様なスパイスとココナッツで作るソースを絡めた、マカオ料理を代表するメニュー。マカオなのに、なぜアフリカンなのか? 背景がなかなかおもしろい。ルーツはその名の通りアフリカにあるとされる。ここで登場するのが、世界史の教科書でもおなじみの、インド航路の発見で知られる15世紀のポルトガルの大航海者、ヴァスコ・ダ・ガマだ。彼が、モザンビークで食べたスパイシーなグリルチキンがヒントになったのだという。マカオ料理との関係について、アジアの食に詳しいフードジャーナリストの女性が教えてくれた。

「ヴァスコ・ダ・ガマが食べたのは、今もポルトガルで食べられている『ピリピリ・チキン』に近いと思います。『ピリピリ』とは、アフリカの辛い香辛料を指す言葉。つまり辛いスパイスをよくもみ込んで(漬け込んで)焼く、グリル料理です。このレシピが、現地の人とともにポルトガルの船に乗せられ、海を渡り、インドでターメリックが、さらにマレーシアでココナッツが加わった。インドネシアの島々ではクローブ、ナツメグなど、より多くのスパイスが加わり、広東料理のテクニックで磨きをかけたのが、マカオ独特の『アフリカン・チキン』。その成り立ちは、大航海時代のポルトガルの軌跡そのものです」

ピリピリ」した刺激は魔性の味⁉

レストランごとに秘伝のレシピがある「アフリカン・チキン」。食べ比べるのも楽しい。

レストランごとに秘伝のレシピがある「アフリカン・チキン」。食べ比べるのも楽しい。

マカオにも「ピリピリチキン」風の「アフリカン・チキン」を出す店はあるが、主流は、スパイスとココナッツのソースがかかったもの。見た目はいかにも辛そう、でも食べてみると辛さはさほどでもなく、奥行きのある複雑な旨みと、華やかなスパイスの香りが食欲をそそる。

お店ごとに、それぞれ秘伝のレシピを持っているそうで、生粋のマカオっ子だというガイドの女性によると、「ソースのレシピは、赤唐辛子とココナッツ以外、さまざまなバリエーションがあります。ポルトガルと関係の深い南米原産のトマトや、パプリカパウダー、ピーナッツペーストも定番。付け合せには、同じく南米原産のじゃがいもが添えられることが多いです。五香粉という中国のミックススパイスや、中国醤油を隠し味にしている店もありますね」いずれにせよ、ポルトガル、アフリカ、インド、東南アジア、中国のすべての要素が入っているのが「アフリカン・チキン」の特徴で、「世界の料理の”いいとこどり“ですから、おいしいのは当たり前です(笑)」。

マカオ独自の食文化の象徴ともいえる「アフリカン・チキン」。ワインやビールだけでなく、ご飯にもよく合う摩訶不思議な味わいは、一度食べると忘れられなくなる”魔性の美味“だ。

柔らかなチキンとホクホクのじゃがいもにスパイスとココナッツのソースを絡めた、マカオスタイルの「アフリカン・チキン」。

柔らかなチキンとホクホクのじゃがいもにスパイスとココナッツのソースを絡めた、マカオスタイルの「アフリカン・チキン」。

ココナッツ交易の名残「ココナッツ・アイスクリーム」

香料、乳製品、砂糖も入っていないため、口溶けはサラッとして風味は濃厚。特に作りたては、ふわっと柔らかくて格別。

香料、乳製品、砂糖も入っていないため、口溶けはサラッとして風味は濃厚。特に作りたては、ふわっと柔らかくて格別。

ポルトガルの船がマカオへと運んできた交易品のひとつに、ココナッツ(椰子の実)がある。マカオ半島の中心地からやや北西に進んだ、果欄街の中ほどに建つ「洪馨椰子(ホンヘンイエチー)」は、1869年創業のココナッツ専門店。そのころ、マレーシアから運ばれてきたココナッツは、マカオを経由して中国各地に運ばれていたそうで、たくさんのココナッツ問屋があったという。現在、集散地は中国本土に移り、専門店はここを含め2軒のみとなっているが、マカオ料理には今もココナッツを使ったものが多く、エキゾチックな味わいをもたらしている。

ココナッツは、非常に利用価値の高い果実だ。硬い殻の内側には白い果肉(固形胚乳)の層があり、削って食べたり、搾ってココナッツミルクにし、料理などに使う。中心部に入っている液状胚乳(ココナッツウォーター)は、飲み水代わりにしたり、発酵させれば酒にもなる。最近では”天然のスポーツドリンク“として、アスリートにも人気だ。

マカオ半島で1869年から続くココナッツ専門店「洪馨椰子」。

マカオ半島で1869年から続くココナッツ専門店「洪馨椰子」。

アジア料理を研究しているというライターの日本人男性は、「今では、どんな国でもボトルウォーターが普及していて、飲み水に困ることはほとんどありませんが、昔、暑さが厳しい東南アジアで安全な水といえば、割りたてのココナッツにストローを刺して飲む、ココナッツウォーターをおいて他になかった。現代人にとっては特別おいしいものではないかもしれないけれど、大航海時代のポルトガル船上でも、船乗りの水分補給源になったことは想像に難くない。ココナッツは本当に捨てるところがない果実で、食べられない皮の部分もほぐして繊維にし、ロープなどの材料としても使われます。ポルトガル船は、そうした”ココナッツ文化“も一緒に運んできたのでしょう」と、語る。

上質なココナッツの果肉を圧搾したココナッツミルクで作るアイスクリームが人気だ。

上質なココナッツの果肉を圧搾したココナッツミルクで作るアイスクリームが人気だ。

「洪馨椰子」は、全盛期の問屋から小売に転じ、今では食品加工がメイン。搾りたてのココナッツミルクで作る自家製アイスクリームが人気だ。果肉を削り圧搾して作るココナッツミルクを冷やし固めただけのシンプルなもので、香料はもとより乳製品も砂糖も使っていないのに味は濃厚。

「一般的なアジアンレストランで食べるココナッツ・アイスクリームとは似て非なるもの。口に入れた途端、ココナッツの香りがスパークして、ほどよい甘みが広がります。まさに、ココナッツそのもののおいしさですね」と、前出のライター氏。口当たりはさっぱりとして、歩き疲れた体にスーッと染みわたる。

4代目主人の李さんによれば、「午前中に来れば、作りたてが食べられるよ」とのこと。ぜひお試しを。

東洋の富を求めて海を渡った航海者たち

大航海時代とは、「15世紀から17世紀、ヨーロッパ人がインド航路航海や、アメリカ大陸への到達(いわゆる『発見』)をなした時代」といわれる。

1488年、ポルトガル王ジョアン2世の命により南西アフリカ沿岸への航海に出たバルトロメウ・ディアスは、ヨーロッパ人として初めてアフリカ大陸南端(喜望峰)に到達。インド航路発見への先鞭をつける。次いで、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回り、1498年にインド西岸のカリカットに到達。ここにインド航路が開かれた。

一方、イタリア生まれの航海者、コロンブスは、スペイン女王イサベル1世の援助を得て、1492年8月にスペイン南西部のパロスを出港。同10月にカリブ海バハマ諸島のサン・サルバドル島に到達。これを皮切りにスペインも世界進出していく。大航海の目的は、ポルトガルもスペインも同じ。航路の開拓および”新発見地“の領有、金銀・香辛料・絹などの貿易の独占、キリスト教の布教。ポルトガルは、インドに到達後の1510年にゴアを占領。1511年にはマラッカを制圧。翌年には香辛料の産地として名高いモルッカ諸島に達し、1513年に中国南部・珠江河口の屯門にたどり着く。

”密貿易“で始まった交易

ポルトガル政府は中国(明)との国交を開くべく何度か使節を派遣したが、成果を得られず、当初の貿易は”密貿易“だった。ちなみに、日本の種子島に最初のポルトガル人が嵐で漂着し、南蛮貿易の契機となったのもこのころ(1543年)で、その後もマカオは日本への足がかりとなった。

ポルトガル人が明朝から正式に居留を許されたのは、1557年ごろのこと。中国到達から40年以上の月日がたっていた。以降、マカオはポルトガルのアジア貿易の拠点として繁栄する。

この時代、ポルトガルのリスボンから日本への航海は、順調にいっても片道2年〜3年かかったという。船は帆船で風と海流頼みだったので、中継地で風を待つ必要もあった。マカオから日本へは、夏の南風を利用していたが、強烈な台風で難破しそうになったり、何度も海賊に襲われたりと、非常に過酷な航海だったという。

一説によると、インド航路が開かれて以降、およそ100年の間にリスボン港を出発した船のうち、戻って来られたのは半数ほど。それほど危険度の高い旅だった。

大航海時代は、ポルトガルとスペインが先導し、次いでオランダ、イギリスも海に乗り出して、17世紀中ごろまでに世界各地に到達したところで終焉を迎える。

それまで細かく分断されていた世界の一体化が始まり、遠く離れた地域との経済的な結びつきが生まれたのが大航海時代。現代もまた、その延長線上にある。

[ポルトガルからマカオへの航路]

ポルトガルからマカオへの航路

column2

マカオに根付いたカレー料理

マカオ料理を代表する「アフリカン・チキン」や「カレークラブ(蟹のカレー煮)」、B級グルメとして人気の「カレー麺」、串刺しのおでん種にカレーソースをかけて食べる「カレーおでん」に至るまで、マカオの食にはカレー文化が根づいている。その味は、カレーの本場インドや、東南アジア各国、もちろん日本とも違う独特のもの。秘密はスパイスの配合にあるようだ。

世界各国のカレーを食べ歩いているという、カレーマニアの添乗員氏によると、「マカオのカレー料理の特徴は、ターメリックやシナモン、コリアンダーといったおなじみのスパイスに、八角、五香粉などの中国系スパイスを効かせていること。さらに、ラー油やココナッツミルクを加えるなどして、味に変化を持たせています。インドと東南アジアと東アジアのカレーが、絶妙にミックスされている感じですね」とのこと。

一般的に、B級になるほど辛さが強いものも多く、カレー麺などは食べながら汗だくになる人も。「夏の蒸し暑い時期に食べると、不思議とスッキリするんですよ。食堂では基本的に水は出ないので、持参するか、ジュースなどを注文しておくのがおすすめです。カレーおでんは、注文する際に『ホット?』とカレーソースの辛さを聞かれるのですが、『ホット』は、かなり辛いですよ。自信のある方は、ぜひ試してみてください」(同)。

「アフリカン・チキン」はアフリカ、「カレークラブ」はマレーシア、「カレー麺」は中国の広東料理にルーツがあるといわれる。1980年代に登場したという「カレーおでん」は、似たものがシンガポールや香港にもあるが、日本のコンビニ発祥という説も。さまざまな地域の食文化を柔軟に採り入れ、独自のアレンジを施して発展させるスタイルは、大航海時代から複雑な歴史をたどってきたマカオのお家芸と言えるだろう。

地元のカレー麺の店で

地元のカレー麺の店で

「“焦がしラー油”をつけると、うまいよ」と隣のおじさんが教えてくれた。

「“焦がしラー油”をつけると、うまいよ」と隣のおじさんが教えてくれた。

スーパーで手に入るカレースパイスは数が多い

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