東洋の面影


Remnant of the Orient

鄭家屋敷は、著名な中国の文豪・鄭観應の邸宅。ベースは伝統的な中国式住居だが、その意匠には西洋やインドなど多文化の要素がミックスされている。

鄭家屋敷は、著名な中国の文豪・鄭観應の邸宅。ベースは伝統的な中国式住居だが、その意匠には西洋やインドなど多文化の要素がミックスされている。

東西の文化と生活が隣り合い混じり合いながら形成された街

一方、こうした教会などの西洋建築群の中に、中国の古い寺院や邸宅などが点在しているのも、マカオならではの魅力だ。ポルトガル人が都市を形成し、東西貿易の拠点として街が発展していくなか、中国大陸からも多くの商人たちが移り住み、大陸の対岸に位置する内港を中心に居住地を広げていった。そして、寺院や市場、入り組んだ路地を形成しながら、ポルトガル人がつくった都市と徐々に混じり合い、世界に比類のない街並みが形成されたというわけだ。

例えば、聖ポール天主堂跡のファサードに向かってすぐ隣の左手には、小さな中国寺院「ナーチャ廟」と、「旧城壁」がある。いずれも世界遺産だ。城壁(城はないので正確には市壁)の内側、しかも聖ポール天主堂跡のすぐ隣に建てられていることから、マカオの文化交流・宗教の自由をもっともよく表している事例といわれている。

「ナーチャ廟」は、1888年に神童ナーチャを祀るために造られた寺院。ナーチャは西遊記にも登場するやんちゃな少年神で、マカオを疫病の蔓延から救ったという伝説がある。毎年旧暦の5月18日(今年は6月20日)は、ナーチャの生誕を祝う「ナーチャ祭」。山車にナーチャの仮装をした子どもを乗せ、市内を練り歩くにぎやかな祭りだ。長年、マカオ市民の生活に根付いてきたナーチャ信仰は、2014年に中国の無形文化遺産に登録。ナーチャ廟の隣には、ナーチャ信仰に関する資料を集めた「ナーチャ展示館」がある。

「旧城壁」は、ポルトガル人の居住区(クリスチャン・シティ)を取り囲むようにして守っていた市壁の名残で、いまではこの数メートルを残すのみとなっている。よく見ると、シュウナンボーと呼ばれる土砂と、わら、牡蠣の貝殻で造られた建材を何層にも重ねて造られており、こうした技術や素材にも東西文化の融合をみることができる。

聖ポール天主堂跡から、坂を南へ下ったところにあるのが、いまのマカオ半島の中心地で世界遺産観光の拠点にもなっている「セナド広場」。周囲には、福祉施設(仁慈堂)や、議事堂(現・市政署)などの西洋建築が数多く残り、地面は美しいカルサーダスに彩られているが、そのすぐ近くにも中国人が建てた「三街會館(関帝廟)」、そして19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した、中国人実業家の邸宅「盧家屋敷」がある。

前出のベテラン・コーディネーター氏によれば、「三街會館は、長年、中国系事業組合と密接な関係があり、マカオの中国商工会議所の先駆けとなったところです。祭りの相談などを行う公民館のような役割もありました」とのこと。

見れば、すぐ隣には年季の入った漁民組合の事務所があり(かなり注意しないと見逃す外観)、路地を挟んだ向こう側には、清代から市場があったという場所に建つ公設市場「營地街市」のビル。観光地のど真ん中にありながら、地元の人々の生活が垣間見られるスポットだ。「三街會館」は、1920年代にその機能を失い、併設された関帝廟だけが現在に残る。「関帝廟は、できた当時から現在に至るまで、商売繁盛を願う中国系住民の拠りどころです。近隣の屋台や飲食店、商店の人たちが、代わる代わるお線香をあげに訪れています。

かつでは公民館のような役割もあった三街會館。今は併設の関帝廟が残り「商売繁盛」を願う人が日々、参拝に訪れる。

かつでは公民館のような役割もあった三街會館。今は併設の関帝廟が残り「商売繁盛」を願う人が日々、参拝に訪れる。

西洋的な街並みから道を1本入っただけで、東洋へとトリップできるマカオは、本当にユニークな街ですよ」(同)

また、このすぐ近くにある「盧家屋敷」は、1889年に建てられたもので、マカオの慈善事業にも貢献した盧華詔(盧九)と、その長男・盧廉若が1910年まで住んでいた館だ。広州の伝統的な建築様式をベースにした灰色レンガ作りの2階建てで、そこにポルトガル風の装飾や風水を取り入れている。規模はさほど大きくないものの、吹き抜けの空間を活かした造りや、細部まで凝った装飾に主のこだわりを感じる。

マカオに大きな建物を複数所有していた中国人貿易商・盧華詔の邸宅だった盧家屋敷。旧・ポルトガル人居住区の中心部近くにある。

マカオに大きな建物を複数所有していた中国人貿易商・盧華詔の邸宅だった盧家屋敷。旧・ポルトガル人居住区の中心部近くにある。

マカオが始まった場所に建つ中国文化の代表例「媽閣廟」

マカオでいちばん古い宗教施設といえば、ポルトガル人が渡来するより前からマカオ半島南端に存在する中国寺院「媽閣廟」だ。諸説あるが、15世紀後半には現在の場所に建っていたといわれ、周辺にはマカオに最初に移り住んだ漁民の集落があった。

「媽閣廟」に祀られている媽祖(阿媽、天后とも呼ぶ)は、航海の女神で、宋代の960年、福建省に生まれた巫女が神格化されたものといわれる。あるとき、福建省から広東省へと向かうジャンク船(中国の帆船)が嵐に見舞われ遭難しかかったところ、媽祖に導かれ、無事にたどり着いたのがマカオの南端。その後、航海の安全を願う漁民たちの手でこの廟が建てられたといわれている。廟は正門、中国式鳥居、正覚禅林殿、弘仁殿、観音閣からなり、ひとつの建物のなかに異なる神をまつっている。そのため「媽閣廟」は、儒教、道教、仏教、多様な民間信仰によって支えられた中国文化の代表例とされている。

マカオ最古の寺院、媽閣廟。頂上の観音閣からは、いまも内港と中国大陸が見渡せる。

マカオ最古の寺院、媽閣廟。頂上の観音閣からは、いまも内港と中国大陸が見渡せる。

「媽祖の誕生を祝う『天后節』には、いまも多くの漁民や船乗りが家族総出で参拝に訪れ、また、大陸や香港からも多くの参拝客が訪れる、マカオ随一のパワースポット。少し歩けば、イスラム様式の意匠が美しい『港務局』や、湧き水があり初期のポルトガル人が定住したエリアにある『リラウ広場』、中国の文豪・鄭觀應の邸宅だった『鄭家屋敷』などの見どころがあり、散策が楽しいエリアです。坂道が多いので、ぜひ歩きやすい靴で」と、コーディネーター氏。

コンパクトな土地に、世界遺産に登録された22の歴史的建造物と8ヶ所の広場がぎゅっと詰まっているマカオの街。” 全制覇“を目指すスタンプラリー的な旅も楽しいが、エリアを絞って地元の暮らしを感じながら歩くことで、マカオはより魅力的な街として、輝きを増してくる。

世界遺産エリア外だけど見逃せない!
「ラザロ地区」と「聖フランシスコ・ザビエル教会」

「ラザロ地区」は、ポルトガル人が造った居住地の外側に位置しているが、南欧的なカラーが色濃いエリアだ。マカオでもっとも美しいといわれるカルサーダス(石畳)が敷かれ、レトロで可愛らしい街灯が並び、クリームイエローの建物が軒を連ね、南欧の街そのものといった景観を作り出している。古くから中国人のカトリック教徒が住んだ街でもあり、その中心にある「聖ラザロ教会」は、16世紀末に建てられたマカオでもっとも古い教会のひとつ。当初はハンセン病患者の診療所に属する礼拝堂だったという、コロニアル様式の教会だ。他にも、ペパーミントグリーンの外壁が美しい「聖ミカエル教会」や、築100 年を超す南欧建築にショップやレストラン、ギャラリーが入っている「仁慈堂婆仔屋」などがあり、最近では、若いオーナーが営むカフェやビンテージショップが続々登場している。

一方、マカオ半島から橋を渡っていくコロアンにある、「聖フランシスコ・ザビエル教会」も、ぜひ訪れたいスポット。コロアンは、のどかな漁村の雰囲気を今に残す自然豊かなエリアで、この地を愛して居住する外国人も多い。その中心地にある「聖フランシスコ・ザビエル教会」は、東洋の使徒とも呼ばれたフランシスコ・ザビエルを記念して1928 年に建てられた、とても小さな愛らしい教会だ。クリームイエローの外壁にコバルトブルーの扉、最上部に据えられた鐘の下には聖堂を意味する「天主堂」の文字。堂内には、中国風の衣装をまとった東洋的な面差しの聖母マリアの絵も飾られており、地元の人々の素朴な信仰に信者ならずともシンパシーを感じてしまう。教会前広場の両脇には、回廊を利用したポルトガル料理店と広東料理店があり、いつも地元の人や旅行者でにぎわっている。