海に生きる人々の祈りと熱い祭り


Pray for Happiness at the Festivals

マカオ半島の南灣湖で開催される「マカオ国際ドラゴンボートレース」。地元チームのほか、各国各地から強豪チームが参加してスピードを競う。

マカオ半島の南灣湖で開催される「マカオ国際ドラゴンボートレース」。地元チームのほか、各国各地から強豪チームが参加してスピードを競う。

いにしえの時代から海を向いて暮らしてきたマカオの人々

マカオの祝賀イベントでおなじみの広東オペラは、いわば京劇の広東版。海の神にまつわる、北帝生誕祭、譚公祭でも上演される。屋外の特設舞台で繰り広げられる伝統芸は、一見の価値あり。優雅な音楽や舞い、独特の台詞まわし、華やかな衣装や化粧も見ものだ。

マカオの祝賀イベントでおなじみの広東オペラは、いわば京劇の広東版。海の神にまつわる、北帝生誕祭、譚公祭でも上演される。屋外の特設舞台で繰り広げられる伝統芸は、一見の価値あり。優雅な音楽や舞い、独特の台詞まわし、華やかな衣装や化粧も見ものだ。

マカオの人々は、海とともに暮らしてきた。中国大陸から南シナ海に流れ込む大河、珠江の河口に位置するマカオ半島は、現在、中国大陸と地峡で結ばれているが、もともとは島であり、その南沖合いにあるタイパ、コロアンも、今でこそ埋め立て地のコタイでつながっているが、それぞれが独立した島だった。また、タイパは、20世紀初頭まで2つの島に分かれていたという。そんな土地柄だけに、秦の始皇帝の時代より以前から、漁業を営む人々が暮らしていたといわれている。

ひなびた漁村だったマカオが歴史の表舞台に登場するのは、明の時代、ポルトガル人が渡来してから。東西貿易の拠点となり、繁栄の時代に入っていく。

現地の観光ガイドの女性は、「マカオの人々は、昔から海に目を向けて生計を立ててきたのでしょう。今に残る恒例行事やイベントも、海や川、湖など、水にまつわるものが多いんですよ」と話す。その代表格といえるのが「ドラゴンボート・フェスティバル(端午節)」と、その祝賀イベント「マカオ国際ドラゴンボートレース」だ。

ドラゴンボートにまつわる悲しい伝説

「ドラゴンボート・フェスティバル(端午節)」は、旧暦の5月5日(今年は6月18日)に行われる中国の伝統行事。日本の「端午の節句」の由来でもあり、この日に粽(ちまき)を食べたり、軒先にヨモギやショウブの葉を飾ったりする習慣も、中国の端午節から来ている。諸説ある起源の中でもよく知られているのが、春秋戦国時代の政治家であり詩人の、屈原(くつげん)にまつわる悲しい伝説だ。

楚の王の厚い信頼を受け、若き宰相として活躍していた屈原。能力に恵まれ、庶民からの人気も高かったゆえに妬まれたのか、権力闘争に破れ追放されてしまう。その後、彼は、流浪の旅の中で国民の貧しい生活に触れ、多くの詩を詠む。彼の詩は、後の中国文学に多大な影響を及ぼしたが、その最期は悲しいものだった。

龍に施された赤や緑、金などの鮮や かな彩色は、おめでたさの象徴。

龍に施された赤や緑、金などの鮮やかな彩色は、おめでたさの象徴。

紀元前278年、楚の都は秦に侵略され、国は滅びの一途をたどる。都を追われてもなお愛国者だった屈原は、その惨状に絶望。5月5日、現在の湖南省を流れる川、泪羅(べきら)江で入水自殺を図ったのだった。

近隣の村人がいち早く気づき、川を下って洞庭湖まで捜索したが、屈原の遺体は見つからない。そこで、湖の漁師たちに捜索を依頼。漁師たちが、我先にと船を出した様子がドラゴンボートレースの始まりともいわれている。

人々は死後も屈原を敬い、毎年、彼が入水した5月5日になると、もち米と小麦粉で作った粽を川にたくさん投げ入れ、その魂を弔った。一説では、屈原の遺体が魚に食い荒らされないように、という願いが込められていたという。また、ヨモギやショウブを玄関に飾る風習は、屈原の魂を呼び寄せるためともいわれている。

地元のホテルマン氏は、「屈原の伝説については、小学校で習いました。子どもの頃のことだから内容はそこまで詳しく覚えていませんが、家族みんなで作って食べる粽のおいしさは、忘れられません。わが家の定番は、もち米と甘辛く味付けした豚肉を竹皮で包んで蒸したものですが、ハスの実あんなどを入れた甘い粽を作る家庭もあります。最近は、中国料理店で食べたり、買ってくる人が多いかもしれませんね。いろいろな形や味があって楽しいですよ」と、教えてくれた。

伝説のドラゴンボートレースは今や国際競技に

端午節の祝賀イベントとして開催されるドラゴンボートレースは、屈原の伝説から2000年以上の年月を経て、さまざまな形で世界に広がった。長崎のペーロン、沖縄のハーリーもそのひとつだ。行事から競技に変わったのは、1976年に香港で開催された「香港国際龍舟祭」からだといい、今や日本を含むアジア各国、ヨーロッパにまで広がる国際競技となっている。

「マカオ国際ドラゴンボートレース」(6月16日〜18日)は、マカオ半島の南灣を囲むようにして造られた南灣湖(内海)で開催。地元マカオの企業チームや、学生、公務員チームのほか、アジア各地から強豪チームが参戦する。レースは、男性、女性、男女混合の3部門のほか、ボートの漕ぎ手によって10人の部、20人の部も。ボートの先頭に「太鼓手」が座り、「漕ぎ手」は左右交互に、最後尾には「舵取り手」が乗り込む。勇壮な太鼓のリズムに合わせて、漕ぎ手が勢いよくパドルを振り上げ、水しぶきを上げながらスピードを競う様は、古の海の民を思わせる。

毎年レースに出場しているという地元企業の女性に話を聞くと、「20人の部の漕ぎ手として参加しています。この時期のマカオは亜熱帯らしい暑さが続きますが、海風を受けながらパドルを漕ぐのは最高に気持ちがいいですよ。勝利のポイントは団結力。全員の呼吸を合わせてパドルを漕ぐと舟はグイグイ進み、観客席からは”水上を滑るように“見えるでしょう。でも、ひとたびタイミングを外せば舟が倒れることもあり、かなりの集中力を要する競技です。それだけに、やりきったときの気分は格別。勝っても負けても、また出たいって思うんです。レース後は全身筋肉痛だけど」と笑った。

レースでは、鳴り物などを使った、賑やかな応援合戦も見もの。前出のホテルマン氏は、「無料の観覧席があるので、観光客のみなさんにもぜひ、あの熱気と興奮を味わって欲しいですね。南灣湖の会場周辺は、食べ物の屋台が出たり、ダンスのパフォーマンスなどのイベントもあるので、お祭り気分で楽しめますよ」と、すすめる。

譚公廟に保存されているドラゴンボートの模型。クジラの骨でできた貴重なものだが、意外と無造作に置かれているのでお見逃しなく。

譚公廟に保存されているドラゴンボートの模型。クジラの骨でできた貴重なものだが、意外と無造作に置かれているのでお見逃しなく。

漁民に広く信仰される「阿媽」の生誕祭

一方、マカオの人々は「海にちなむ神様」への信仰が篤い。はるか昔にこの地に移り住んだといわれる漁民たちの祭りは、今も大切に受け継がれている。

明の時代にポルトガル人が渡来し、東西貿易の拠点となってからもなお、住民の多くは漁業を生業とし、豊かな漁場である珠江での漁や、牡蠣の養殖、乾物などの水産加工業を営んできた。マカオで古くから信仰されている、阿媽、潭公、北帝も、すべて海の守護神。漁業が衰退した今でも、それらの廟には線香の煙が絶えることなく、マカオ庶民の心の拠り所となっている。

中でも、世界遺産の媽閣廟は、ポルトガル人来航前、明朝の初期に建てられたと言われる古刹。境内にある4つの廟のうち、3つは船員や漁師の守り神である阿媽(媽祖、天后とも呼ばれる女神)を祀っている。ちなみに残りのひとつは、あまねく民衆を救済するといわれる観音菩薩だ。

媽閣廟の起源については、こんな伝説がある。あるとき、広東省から福建省に向かうジャンク船(中国の木造帆船)が嵐で遭難しそうになったが、阿媽の霊験でマカオ半島へと導かれ、無事に辿り着いた先が、現在の媽閣廟のある場所だった、と。

境内では、阿媽が導いたといわれるジャンク船の絵も見ることができる。こうして漁民や船乗りは阿媽を崇めるようになり、福建省の漁民によって媽閣廟が建てられたのだとか。また、ポルトガル人が最初に植民を行ったのも、媽閣廟のある岬だったといわれ、「媽閣」の広東語読みが「マカオ」の名前の由来となったのだといわれる。

現地ガイドの女性によると、「マカオ半島の埋め立てが始まる前は、媽閣廟は岬の突端にありました。廟の前にある石畳の広場『バラ広場』のバラは、岬や港の入口を指すポルトガル語です。埋め立て後は少し海から離れてしまいましたが、大殿の円窓からはいつも阿媽様が海の方向を見つめ、海の民を見守っています。媽閣廟はマカオ屈指のパワースポットともいわれ、漁民だけでなく多くの市民に信仰されていますが、旧暦の3月23日(今年は5月8日)に行われる阿媽の生誕祭「天后節」では、ここが漁民たちにとって、ある種の聖地であることを思い出させてくれます」。

「天后節」の日は、船員や漁業関係者、その家族が大勢訪れて参拝。広東オペラやドラゴンダンスが奉納され、航海の無事を祈願する。パレードなども盛大に催されるため、見学客も多く集まる初夏の風物詩だ。

龍は水や海との関わりが深い神聖な生きもので、海に囲まれたマカオの祝賀行事には欠かせないモチーフ。「ドラゴンボート・フェスティバル」や「酔龍祭」の主役でもある。

龍は水や海との関わりが深い神聖な生きもので、海に囲まれたマカオの祝賀行事には欠かせないモチーフ。「ドラゴンボート・フェスティバル」や「酔龍祭」の主役でもある。

漁民組合が運営するマカオだけの奇祭!

漁民組合が運営するマカオの奇祭「酔龍祭」では、龍の頭と尾を掲げた男たち が街を練り歩く。

漁民組合が運営するマカオの奇祭「酔龍祭」では、龍の頭と尾を掲げた男たちが街を練り歩く。

漁師らしい豪快な祭りが、旧暦の4月8日(今年は5月22日)に開催される「酔龍祭」。

世界的にも珍しい、マカオならではの奇祭だ。由来は、清王朝の康煕帝(こうきてい)の時代までさかのぼる。国に蔓延する疫病に苦しめられていた人々が、仏に助けを求めるべく仏像を運んでいたところ、突然、巨大な蛇が川から躍り上がり、人々の行く手をふさいだ。

とっさに僧が蛇を斬りつけ、破片を川へと投げ込むと、破片はのたうちまわって空を舞い、疫病は収束。蛇の血に染まった土地は、まれに見る豊作になったという。人々は、神聖な龍が蛇に姿を変え助けてくれたのだと信じ、その像を彫刻。釈迦の誕生日を祝う「灌仏祭」に併せて、酒をあおりながら龍と踊る祭りが生まれたという。

祭りは、市の中心部にある世界遺産の三街会館(関帝廟)からスタート。男衆が龍の頭と尾を持ち、酒を飲ませ合い、踊りながら、内港までを練り歩く。途中、男衆は市内の市場や飲食店を巡回。たっぷりと酒をふるまわれた男衆は、また、それを飲ませ合いながら、時折ブーッと勢いよく吹き出す。セナド広場の近くで飲食店を営む女性が、「男たちが酒を吹き出すと、周囲から大きな歓声と笑いが起こります。最初のうちは酔っ払った演技なのでしょうが、最後のほうは本当に酔っ払ってベロベロになってくるのがおかしいんですよ。参加者も観客も、この日は宴会をして一日を終えます」と、教えてくれた。

行く先々で酒を振る舞われ、「ブーッ!」と豪快に吹き出す男 たち。祭りが進むにつれ、酔いも進み、見物客を巻き込んで大いに盛り上がる。

行く先々で酒を振る舞われ、「ブーッ!」と豪快に吹き出す男たち。祭りが進むにつれ、酔いも進み、見物客を巻き込んで大いに盛り上がる。

古き良き漁村の素朴な信仰を感じる「譚公祭」

また、「酔龍祭」の同日、ひなびた漁村の雰囲気が残るコロアンの譚公廟では、漁業の神様である譚公の生誕を祝う「譚公祭」が開催。廟の前では広東オペラやライオンダンス(獅子舞)が奉納される。こちらも規模は小さいながら、漁民の信仰が感じられる祭りだ。「廟の中には、クジラの骨で造られた、長さ1・2メートルのドラゴンボートが置かれています。漕ぎ手の顔もそれぞれ違って、どこかコミカル。媽閣廟の近くにある海事博物館でも複製したものが見られますが、本物をお見逃しなく」と、前出の現地ガイドの女性。コロアンの南側は、昔の海岸線が残っているマカオでは貴重な場所。漁や水産加工を生業とする人たちも残り、古き良きマカオが感じられる。