World heritage 大航海時代から未来へ。歴史が育んだ世界遺産とガストロノミー


From the Age of Discovery to beyondWorld heritage and culinary rooted in cultural blend

ポルトガル街(現在の南灣湖あたり)が中国のジャンク船と中国人で賑わう様子。マカオでは文化の衝突がなかったという。(18世紀)

ポルトガル街(現在の南灣湖あたり)が中国のジャンク船と中国人で賑わう様子。マカオでは文化の衝突がなかったという。(18世紀)

ポルトガルと中国の文化の融合

大航海時代のポルトガル人の来訪から約500年。東西を代表する文化の融合拠点として世界に類をみない発展を遂げてきたマカオ。返還後は、中国政府の「一国二制度」のもと、現代アートやファッション、料理など最先端の文化が集まる街としての顔も加わり、日本を始め訪れる観光客を魅了し続けている。

そんな「ワン&オンリー」のマカオの魅力を支えるのが、ともに大航海時代にルーツを持ち、ユネスコの認定を受けた「世界文化遺産」の数々の建物と「食文化創造都市」としての顔だ。

マカオの「世界文化遺産」は、聖ポール天主堂跡、聖オーガスティン教会などポルトガル人が残した建物と、海の女神を祭る中国式寺院の媽閣廟など、22の歴史的建造物と8つの広場が「マカオ歴史市街地区」として2005年7月15日に登録。すべてがマカオ半島の狭いエリアに集中しており、1日で回ることも可能だ。聖ポール天主堂跡と並んで、中国式寺院のナーチャ廟が立つなど、東西文化のユニークな同化と共存が高く評価された。しかも、多くの建物は現在も実際に使われており、マカオ人の生活の場となっている。

1646年にペドロ・バレット・デ・センデが描いたマカオ。城壁と砲台に囲まれた西洋都市が出現している。

1646年にペドロ・バレット・デ・センデが描いたマカオ。城壁と砲台に囲まれた西洋都市が出現している。

波濤を越えてやってきたポルトガル人たち

かつて、中国のひなびた漁村の島に過ぎなかったマカオに、最初のポルトガル人が到着したのは1540年代といわれる。大航海時代の波にのってのことで、以降、マカオはポルトガルの東洋進出の拠点となる。

「発見の時代」とも言われる大航海時代は、15世紀から17世紀にかけて、ポルトガルをはじめとするヨーロッパ人がインド航路航海や、アメリカ大陸へ到達した時代だ。大航海の目的は、” 新発見地“の領有と、そこに産出される金銀・香辛料・絹などの貿易の独占、そしてキリスト教の布教。ポルトガルは、1510年にインドのゴアを占領、1511年にはマラッカを制圧。翌年には香辛料の産地として名高いモルッカ諸島に達し、1513年に中国南部・珠江河口、そしてマカオへとやってきた。ちなみに、日本の種子島に最初のポルトガル人が嵐で漂着したのが1543年。日本の豊富な銀を目当てに、マカオは日本への足がかりにもなった。

今も色濃く残るポルトガルの面影

1622年から1638年にかけて築かれた、マカオ半島でいちばん高所にあるギア要塞。灯台と教会があり、ともに世界遺産に登録されている。灯台はいまも現役。

1622年から1638年にかけて築かれた、マカオ半島でいちばん高所にあるギア要塞。灯台と教会があり、ともに世界遺産に登録されている。灯台はいまも現役。

この時代の船は帆船で、風と海流頼み。中継地で風を待ったり、台風で難破したり、海賊に襲われたりの、一航海10年ともいわれる非常に過酷な航海だった。

16世紀のポルトガルの詩人、ルイス・デ・カモンエス

16世紀のポルトガルの詩人、ルイス・デ・カモンエス

そんなポルトガル人の、遠く離れた郷里への思いが色濃く残るのがタイパ地区だ。20世紀初めまでポルトガル人の別荘地でもあったタイパ・ハウスをはじめ、タイパ・ビレッジは細い路地が入り組み、ポルトガル人たちが暮らしたペパーミント• グリーン、ピンク、イエローの建物が並んでいる。アールデコ風の街灯がカラフルな家並みによく似合い、街を歩いていると「ここは、ポルトガル?」と錯覚をおこしそうなほど。一方、マカオ半島のラザロ地区は、白い小石を敷き詰めた歩道に色石で絵を施した石畳カルサーダスが続く。聖ラザロ教会に近い「仁慈堂婆仔屋」は、緑の濃いクスノキが立つ中庭を中心にした「コ」の字型2階建の美しいポルトガル建築。

名前の由来は、かつてポルトガルの難民収容施設として使われた後に、未婚女性の「女子養老院」として使われたためという。

また、マカオの街中には、大航海時代のポルトガルの英雄の像もある。たとえば、市政署と、カモンエス公園には、16世紀にマカオに滞在し、ヴァスゴ・ダ・ガマのインド航路発見に至るまでの叙事詩を書いた、 ポルトガルの国民的大詩人、ルイス・デ・カモンエスの胸像がある。ガマはマカオには訪れていないが、19世紀末にインド上陸400年を記念して作られたヴァスコ・ダ・ガマ公園の中に胸像が建てられている。

聖アントニオ教会は、16世紀に建てられたマカオ最古の教会(現在の建物は1930 年完成)。結婚式が多く、花が飾られていることも。

聖アントニオ教会は、16世紀に建てられたマカオ最古の教会(現在の建物は1930 年完成)。結婚式が多く、花が飾られていることも。

マカオで結実した東西食文化のフュージョン

大航海時代、命がけの航海がマカオにもたらしたものは、建物だけではない。文化の象徴ともいえる食はその代表格。各停泊地から持ち込まれた、さまざまな料理と交わって出来上がったマカオ料理は東西食文化のフュージョンと言える。2017年11月には、そうした多様性が評価されて、ユネスコの創造都市ネットワークのガストロノミー(食文化)部門の食文化創造都市に登録された。同部門に認定されている都市は世界で26しかなく、中国では成都、順徳に続く3番目の栄誉となった(日本は山形県鶴岡市だけ)。

ポルトガル由来の素材やスパイス類をマカオ流にアレンジして生まれた「マカオ料理」。他では見られない独特の食文化が醸成されているのもマカオの大きな魅力だ。

ポルトガル由来の素材やスパイス類をマカオ流にアレンジして生まれた「マカオ料理」。他では見られない独特の食文化が醸成されているのもマカオの大きな魅力だ。

多彩で奥深いマカオの食文化。たとえば、鶏肉に多様なスパイスとココナッツのソースを絡めてつくる「アフリカン・チキン」。マカオ料理を代表するメニューだが、ルーツはその名の通りアフリカにある。実は、ヴァスコ・ダ・ガマが、インドに向かう途中、モザンビークで食べたスパイシーなグリルチキンがもとの料理だという。アフリカの辛いスパイスをもみ込んで焼くグリル料理のレシピが船に積まれ、インドでターメリック、マレーシアでココナッツ、インドネシアでクローブ、ナツメグなどの多くのスパイスが加わり、最後に広東料理のテクニックで仕上げられたのがマカオ独特の「アフリカン・チキン」。その成り立ちは、まさしく大航海時代のポルトガルの軌跡そのものなのだ。

世界のグルマンが集まるIRは中国料理もハイレベル。

世界のグルマンが集まるIRは中国料理もハイレベル。

今ではレストランごとに秘伝のレシピがあるといわれ、それぞれポルトガル風、アフリカ風、広東風と味を競っている。世界の料理の「いいところ取り」だけに、ワインやビールだけでなく、ご飯にもよく合う摩訶不思議な味わいで、一度食べると忘れられなくなるほどだ。

もうひとつのマカオ料理の代表格、「ミンチィ」は、英国系インド人が伝えたもの。挽き肉をにんにくや玉ねぎと一緒に甘辛く炒めたものと、角切りにして揚げたじゃがいもを合わせた料理で、ポルトガル人の末裔であるマカエンセにとっては、”おふくろの味“。じゃがいもはポルトガル由来、ひき肉部分はたまり醤油がきいた中国風だ。

マカエンセのおふくろの味「ミンチィ」。

マカエンセのおふくろの味「ミンチィ」。

スイーツはマカオの食に欠かせない

ポルトガルの船がマカオへと運んできた交易品のひとつが、ココナッツ(椰子の実)。マレーシアが原産で、マカオ料理に欠かせない素材だが、マカオ半島で1869年から続くココナッツ専門店「洪馨椰子(ホンヘンイエチー)」では、上質なココナッツの果肉を圧搾した搾りたてのココナッツミルクで作る自家製アイスクリームを販売、大人気となっている。

ポルトガルのパステル・デ・ナタを元にしたマカオ名物「エッグ・タルト」。

ポルトガルのパステル・デ・ナタを元にしたマカオ名物「エッグ・タルト」。

ココナッツが大航海時代のポルトガル船に運び込まれたのは、航海上の飲み水の確保のため。暑さが厳しい東南アジアで安全な水といえば、割りたてのココナッツにストローを刺して飲む、ココナッツウォーターしかなかった。ココナッツは捨てるところがない果実で、果肉は料理に、食べられない皮の部分もほぐして繊維にし、ロープなどの材料として使ったという。

また、マカオ名物の「エッグタルト」は、ポルトガルで18世紀以前から食べられている伝統のお菓子「パステル・デ・ナタ」が伝わったもの。1989年創業の「ロード・ストウズ・ベーカリー」の「エッグタルト」は、創業者のイギリス人、アンドリュー・ストウが、「パステル・デ・ナタ」のレシピに独自の工夫を加えて完成したもの。日本の観光客も必ず足を運ぶ有名店だ。

世界最高レベルのシェフもマカオに続々と進出

マカオから日本へやってきたポルトガル商人を描いた南蛮屏風(一部)。その文化や技術は中世の日本を大いに揺さぶった。天ぷら、カステラなど、ポルトガルから伝わった食べ物が日本で定着している例も多い。

マカオから日本へやってきたポルトガル商人を描いた南蛮屏風(一部)。その文化や技術は中世の日本を大いに揺さぶった。天ぷら、カステラなど、ポルトガルから伝わった食べ物が日本で定着している例も多い。

こうした独特のマカオ料理と、本来のポルトガル料理、中国料理(広東料理、北京料理など)を楽しめるのがマカオ。これに返還後は、IRの建設ラッシュとともに、世界中のトップシェフによるあらゆるジャンルの料理が加わった。

たとえば、マカオ半島のランドマーク、グランド・リスボア最上階にある「ロブション・オ・ドーム」は、フランス料理界の巨匠で今は亡きジョエル・ロブションのメニューが味わえる、トップクラスのレストラン。これまで、11年連続でミシュランの三つ星を獲得しており、世界の美酒を網羅したワイン・コレクションでも知られる。また、コタイに2018年にオープンした故ザハ・ハディド設計のモーフィアスには、フレンチの巨匠が手掛ける「アラン・デュカス・アット・モーフィアス」が開業。わずか1年足らずでミシュランの2つ星を獲得して話題となった。ザ・ヴェネチアン・マカオの「ザ・ゴールデン・ピーコック」は、アジアのインド料理店として初めてミシュランの星を獲得、といった具合で、まさに世界のトップシェフのショーケース。いずれもオリジナルだけでなく、マカオテイストを意識した料理が供されており、マカオは文字通り、世界唯一そして最高の美食の都となっている。

アフリカの鶏のグリル、インドの各種スパイス、マラッカのココナッツなど、ポルトガル人は「海のシルクロード」を経て、マカオにさまざまな食材や調理法を持ち込んだ。マカオ料理は大航海時代の味だ。

アフリカの鶏のグリル、インドの各種スパイス、マラッカのココナッツなど、ポルトガル人は「海のシルクロード」を経て、マカオにさまざまな食材や調理法を持ち込んだ。マカオ料理は大航海時代の味だ。