マカオの世界遺産の魅力を再発見!


ポルトガル人の運んだキリスト教文化と地元の素朴な暮らしが融合

Rediscover the charms of Macao’s World Heritage

ギア要塞(ギア教会とギア灯台) マカオで最も高い丘に建つギア教会と灯台。灯台は中国沿岸で最古のものであり、教会内のフレスコ画には東西文化の融合が見られる。

ギア要塞(ギア教会とギア灯台)
マカオで最も高い丘に建つギア教会と灯台。灯台は中国沿岸で最古のものであり、教会内のフレスコ画には東西文化の融合が見られる。

聖ポール天主堂跡 はるか昔、イエズス会の伝道師たちが行き来した天主堂。幾度かの火災で石造りのファサードだけが残るが、荘厳な雰囲気は健在だ。

聖ポール天主堂跡
はるか昔、イエズス会の伝道師たちが行き来した天主堂。幾度かの火災で石造りのファサードだけが残るが、荘厳な雰囲気は健在だ。

バラ広場 マカオ最古の寺院「媽閣廟」前の広場。カルサーダス(石畳)が美しい。16世紀中頃、ポルトガル人が初めて上陸した地ともいわれる。

バラ広場
マカオ最古の寺院「媽閣廟」前の広場。カルサーダス(石畳)が美しい。16世紀中頃、ポルトガル人が初めて上陸した地ともいわれる。

聖ヨセフ修道院及び聖堂 聖ヨセフ修道院は、日本を含む宣教活動の拠点のひとつだった。隣の聖堂は、中国におけるバロック建築の代表作ともいわれる美しさ。

聖ヨセフ修道院及び聖堂
聖ヨセフ修道院は、日本を含む宣教活動の拠点のひとつだった。隣の聖堂は、中国におけるバロック建築の代表作ともいわれる美しさ。

ロバート・ホー・トン図書館 香港の事業家ロバート・ホー・トン卿の別荘として使われていた邸宅。彼の死後、マカオ政府に寄贈され、図書館として改築された。

ロバート・ホー・トン図書館
香港の事業家ロバート・ホー・トン卿の別荘として使われていた邸宅。彼の死後、マカオ政府に寄贈され、図書館として改築された。

市政署(旧・民政総署) マカオ初の議事堂。新古典様式で、壁、レイアウト、中庭に至るまで当時のまま残され、美しいアズレージョ(ポルトガルの装飾タイル)が見られる。

市政署(旧・民政総署)
マカオ初の議事堂。新古典様式で、壁、レイアウト、中庭に至るまで当時のまま残され、美しいアズレージョ(ポルトガルの装飾タイル)が見られる。

世界文化遺産MAP

世界文化遺産MAP

なぜ、マカオが世界遺産に?

マカオは、大航海時代から約500年もの長きにわたり、中国が西洋の文化・文明を受け入れる玄関口の役割を果たしてきた。波濤を越えてマカオまで航海してきたポルトガル人たちは、この地にキリスト教とそれに伴う文化を伝え、ポルトガルの船乗りや宣教師たちを受け入れたマカオの人々は、彼らが運んできた西洋の文化を自分たちの生活の中に融け込ませていった。

2005年に世界遺産登録された「マカオ歴史市街地区」は、こうした東洋と西洋文化の融合と、現代まで続く共生の”生きた証 “に他ならない。世界遺産に登録されている22の歴史的建造物と、それに連なる8ヶ所の広場は、今なお、マカオの人々の暮らしのなかで機能し続けている。

現地のベテランのコーディネーター氏は、「世界遺産に登録されて以降、マカオの人々はより一層誇りを持って、自分たちの街の保護・保存に努めています。最先端のIR(統合型リゾート)が続々とオープンし、未来に向けての都市計画が進むなかでも、世界遺産に象徴されるマカオ独自の歴史や、異文化を理解し、互いに尊重し合う精神性を大切にしているのです」と、話す。

約500年前、鄙ひなびた漁村だったマカオ

ポルトガル人がマカオに渡来した16世紀中頃のマカオ半島は、北部の観音堂周辺、南部の媽閣廟周辺に漁村が点在する、ほとんど未開の地だったという。ごくごく小さな村に暮らす人々は、目の前の海で漁をし、漁師たちを守る女神を詣で、祖先を大切に祀る…という静かな日々を過ごしていたことだろう。

そこにやってきたポルトガル人たちは、村の人々が見たこともないような品々や思想、哲学を運んできた。彼らは、湾を見下ろす高台に要塞や砲台を造り、市壁を築いた。市壁の中に教会や人々が集まる広場、それをつなぐ道路、住宅、行政施設、福祉施設、娯楽施設なども造られた。ポルトガル人たちが作り上げた街の様子は、地元の人々の目には驚きの連続であったことは想像にかたくない。

数百年時を経た現代。今もマカオでは、荘厳な教会建築や美しいステンドグラスを眺めることができ、東洋と西洋、アジアらしい活気と南欧的な長閑さが混在する街を自由に行き来できる。マカオの世界遺産は、歴史の証言者そのものなのだ。